終わりの始まり | サムライ日記

サムライ日記

日々の誰あてでもない日記を綴ろうかと思います。

 明け方、眠りの浅い時間に目覚めると、なんとも言えぬ喪失感で体が重くなる。ぼーっとして、首が倒れる。こんな物悲しい思いをすることになるのならば、何も始めなければよかったとさえ思ってしまう。もう半年以上こんな朝を迎えている。

 とは言え、このまま首を垂らしたまま、ベッドに居座るわけにはいかない。安くはない家賃の支払いはあるし、年齢なりに人間としての生活は行っていく必要もあるだろう。仕事に行かなければならない。 

 目をつむったまま、ゆっくりと深呼吸をして寝室を出る。おはようと妻に声をかける。朝の寝起きが悪く、元気がないのは一緒に暮らして十年くらいにもなれば、特に心配されることもない。重い思いを背負っていたとしても、その影は誰にも見れぬのだろう。

 ことが生じた秋の終わりから考えれば、もう夏の気配もするくらいだ。2020年の東京オリンピックを間近に控え、ソワソワし始めた季節から、コロナウイルスの影響で、戦後初めて夏の甲子園の中止が決まった、感慨深いニュースが流れた季節にもなった。

 こんなに辛い気持ちになるものだと、誰にも推し量れないのであろう。自分自身もこんなに落ち込むことなのかと自問自答してしまう。でも、本当に重たく、物悲しいのである。誰にも分からぬであろうけれど。

 電車に揺られながら、うとうとと眠っていても、その思いが募り、その思い出の登場人物が走馬灯のように巡る。電車の中でなければ、振り払うように、あっと声を出していたかもしれない。仕事の合間、会社のトイレで個室に入り、考えたくないはずなのに、頭に侵入してきて、また頭に過ぎる。ランチタイムにコンビニへコーヒーを買いに行く道すがら、晴れ渡る空を見るだけで、胸が締め付けられる。とても楽しかった。最高な毎日だった。そんな出来事のお陰で、仕事も家庭もうまくいっている気がして、人生が順風満帆だと思えていた。

 

 今では、すべてを失った気さえしている。つまらなく見える仕事でも、没頭してPCの前に座っていれば、不思議と気が紛れていられる。ついこないだまでは、PCの前でも、チームのグループラインを眺めながら、盛り上がり始めたのならば、トイレの個室でやりとりをしていたくらいだ。

この経験は、きっと人生を遂げるまで抱えていくのであろうか。忘れたくない大切な思い出も、自分の至らなかった点を、これ以上自分自身を痛ぶらないように、なるべく優しく心に刻み、今後の人生に生かしていければいいと思って書き連ねていこうと考えた。書くことで少しは悪い夢を見る機会が減るのならば、なんとでもしたい。

 

 僕は5年かけて作っていた草野球チームを失った。一緒に作った古い友達も、その後の出会った愛くるしい仲間たちも、みんな含めて20人くらい失った。それは僕の生きがいの大きなものに違いなかった。妻と結婚してから、恋人と別れるように喪失感をもうこの先の人生で追わなくて良くなったんだと感じていたが、今はそれに近い。